HATSKI/ masayoshi miyake
HATSKI/ masayoshi miyake
interview & photo MUYA
−三宅さん、ご無沙汰です。
久しぶりに東京で会いましたが、お元気でしたか?
Miyake)だいぶご無沙汰しておりますー
なんとか元気で過ごしておりました。
−簡単に自己紹介お願いしてもいいですか?
M)HATSKIのデザインをしながら、拠点を置いている神戸でcsewというお店をしています。
−服の仕事をするきっかけ教えてください。
M)元々ファッションはすごい好きで興味があって、働いたお金で好きな洋服を買っていたのですが
たまたま前働いていた会社の社長とお会い出来るキッカケがあり、
前の社長とお昼から終電まで話すことになり(笑)その日にここで働かせてください。
と伝えました。
−恋人でもそんなにしゃべらんけど笑
それはSTRATOの福田さんですよね
M)はいそうですねー。
−働き始めたのは何歳のとき?
M)23、24歳ぐらいだったと思います。
−それまでは全然違う仕事で?
M)本当に全く関係ない仕事をしていました。工場で働いていましたよー笑
−実際好きなことを仕事にしてどうでしたか?
M)いざ提案する側に立つと、さらに色んな知識も身につけたりと大変でしたが、さらに服が好きになりました。
−福田ismすごいすね!
三宅さんはなんかすぐに独立したイメージがあって、最初からいつかは!!
みたいな感じかな?
M)そうですね。ストラトに入社するときにはイメージしてましたね。
そのこと含めて、ストラトの福田社長がすごい理解力のある方で、私は助かりました。
−実際は独立までどれくらいで、なんかあっという間にて感じでしたが、
3年くらい?30歳にはなってた?
M)いえいえ独立したのは33歳ぐらいですよー。
ストラト歴10年目の節目で独立しましたので。意外と頑張っていましたよ!!!
−なるほど、そうか!
2016年に長崎であった時にもうすでにHATSKIとしては始まってたから、
独立したと思ってました。
M)実は二足の草鞋ではないのですが、ストラトの通常業務をこなしながらHATSKIの同時進行をしていました。
当時はかなりがむしゃらに頑張っていましたね。
今思えば全く休んでなかったですね。笑
−通常業務やりながらのそれはかなりハードワークすね笑
デニムからのスタートだと思うんやけど、デニムにしたのは?
M)自分の中で初めて買い物したのがデニムだったんですよー。
その感覚(大切な思い出)も自分の中にあったと思います。
ただ、やはりすでにデニムは絶対的な存在がいて
しかもあまりストラトのメンバーはデニム穿かないので賛成意見はありませんでしたね。笑
唯一福田社長ぐらいでしたね。前向きな方。笑
−絶対的な存在は確かにいくつかあるけど、その中でも同じようにポジション作っていってるのはすごいなぁーと!
いろいろこだわりあるとは思うんやけど、ここは!みたいなものは?
M)生地や付属はもちろんなのですが、やはりシルエットですね。
デニムってかなり制限があるんです。特にセルビッチデニムは。。その中でも穿いた時にやはり綺麗なシルエットになるように意識しています。
−独立して最初どうでしたか?
僕は2、3年は全然食べれてなかったんですが、三宅さんは最初からいい感じに見えて羨ましいかったんですが笑
M)全くそんな事ないと言いますか、まだ独立して4期目なので今もかなり必死という感じです。笑
全然びっくりするぐらい余裕はないですが、楽しくは日々過ごしております。
−同じくです!笑
僕も実はイベントするからとかじゃなく最近HATSKIをよく履いてまして、
昔からどっちかというと紐パンとかシルエットの太いパンツばかりはいてたんですが、
なんかデニムていいですね。こうシャキッとするというか。ちょくちょくどこのデニム?て聞かれます。
M)それは嬉しいですねー
自分も楽に逃げがちだったんですが、やっぱりデニムとかチノスラックスとかクラシックにはなるんですが、
気持ちがはいるというかやっぱり好きなスタイルだなと最近感じますね。
−大西さんとも話してたんですが、ohh!もMUYAも女性のお客さんの比率がだいぶ多いんですが、
HATSKIはデニムていうのもあるけど、男らしいとこのイメージもあるんですが、その辺は?
M)途中はかなり女性のお客様も多くなったんですが、やはり最近はメンズですね。
自分の中でユニセックスという意識も少し変化してきましたね。
−それはどういうこと?メンズ推しでいくで!みたいなこと?
M)メンズで推していくということではないんですが、サイズ感含めてユニセックスの提案が難しくなってきているなと思います。
少し前はビックサイズがメインにあったかもしれないですが、やはり男と女でもちろん骨格、体型も違うのでそこはしっかりと分けたいなと思います。
−海外にも卸してると思うんですが、その辺りの反応はまた日本と違ったりしますか?
M)海外は純粋にブランドを見てくれるので嬉しいですね。
逆にわかりやすい、物が良ければ仕入れるし、悪ければ仕入れない。
−ブランド名や知名度にとらわれてないのはいいですね!
M)純粋にブランドを見てもらえるので本当に嬉しいですね。そのためにももっと良い服作りをと考えています。
−三宅さんはcsewていうお店もやってるけど、そこでカフェもやってるけどその辺はどういう経緯で、
僕の場合はもともと衣食住をやってみたいていうのがあって、服と喫茶と宿泊て感じで運営してるんやけど。
M)これはね。話すと長くなります。笑
本当は、HATSKIの旗艦店を神戸に出す時にはある程度構想があったのですが、やはり会社内でやることなのでそこまで自由はなかったので
独立した時にはという思いでした。生産者側にもしっかりと寄り添いながらという点については服作りとはかなり共通点は多いですね。
−笑。確かに共通点多いし、なんか食事て目の前のことやし、ダイレクトな感じが良いなぁと思います。
ただ、飲食店の素人なんで飲食だけで成り立たせるのは大変やなとも思います。
飲食店経営者の人、尊敬て感じです。
M)初めは飲食店という意識ではなく、働いてくれるスタッフにも恵まれたので、csewという場を作るイメージでやってました。
それがたまたま飲食が走ったという感じです。
−なるほど。お店のメニューなんかはスタッフが考えてくれたりしてる感じ?
M)スタートはみんなで考えました。
今自分たちがつながりのある生産者さんとか色々考えながらスタートしましたね。
でも無理なメニューは考えませんでした。
−いいですね!理想的です。
三宅さんもお店に立つことはある?
M)スタート当初はいましたが、最近はみんなに任せています。
自分は今は服作りに燃えています。笑
初心にたちかえりながら、経験がついたので更新している感じです。
−どんな服を作っていきたいとかありますか?
M)自分もそうなのですが、もっとワクワクしたいですし着る人にもワクワクして欲しいですね。
かなり抽象的にはなるのですが、長く愛着を持って着れる服です。
一時期クローゼットにあって
「着ない服なら捨てるか売るかしてや!!」
「ちょっとこの服はまた着るねん。」
みたいな感じです。
どんな人にというのは特にないです。
もうインスタグラムやSNSを通して広く知ってもらいたいという気持ちは無くなりました。
−これからやっていきたいことはありますか?
M)HATSKIとしては色々考えていますが。。。
また報告できるタイミングで報告します。
やっぱり地方でやっている分何かしらのアクションは起こしたいなと考えています。
csewはもっと地元に根付けるように活動したいですね。
−三宅さんありがとうございます。
これからの活躍楽しみにしてます。